家族の最期。
我が家の小さな家族、クワガタの「くわつか」くん。
7月前半に、娘と公園で遊んでいるときに、ひっくり返って弱っていた(弱っているように見えた)、コクワガタと出会いました。
娘たちが、捕まえ、そのまま、虫かごや、ご飯など揃えて、我が家の仲間入りをしました。
その日から、今日まで、
「本当は、弱ってはいなかったのでは、、、」
と、思うほど、元気に存在してくれていました。
小さなコクワガタの「くわつか」くんですが、我が家の家族の一員であり、みんな、
「今日も元気かなー??」
と、毎日「くわつか」の様子を眺めていました。
とっても大きな大きな存在だったんですね。
そんな「くわつか」くんが、弱り、足や手を動かすのもゆっくりになり、終わりが近づいている様子をみて、
胸がギュッと締め付けられるような、涙がジワジワジワ〜と、流れる、切ない気持ちになりました。
昆虫で、一緒に遊ぶわけでもなく、カゴの中の生活でしたが、それでも、「くわつか」くんが、元気そうでいてくれると、とても嬉しくて、私や、娘たちが元気をもらっていました。
その存在は、とても大きな大きな存在だったんですね。
「くわつか」くんは、死んでしまいました。
ただただ、生きていた「くわつか」くん。
しかし、我が家では、いろんな感情を体験させてくれました。
「くわつか」くんを、忘れることは、我が家のみんな無いと思います。
小さな小さなクワガタの「くわつか」くんが、私たちに、喜びや、存在の愛おしさ、心配になる気持ちや、悲しい気持ち、いろんな感情を経験させてくれました。
家族の一員という、大きな大きな存在になってくれていました。
たまに、私は、
「自分の存在は、なんの役にもたたないんじゃないか」
「私なんて、いてもいなくても同じなんじゃないか」
そんな、切ない気持ちを感じる瞬間があるんです。
「わたしは、何にもできない、ちっぽけな人間だから、、、」
そんな弱気な思いを抱くこと、たまにあるんですね。
けれど、「くわつか」くんは、私たちにとって、存在してくれているだけで、とても嬉しくて、心を豊かにしてくれていたんです。
小さくて、お話するわけでもなく、懐いて触らせてくれるわけでもなく、いつも木の下に隠れて、探さないとどこにいったかわからない、、
そんな、昆虫です。
けれど、エサを食べるその姿は、とても愛おしく、モリモリ食べてくれることが、嬉しかったんです。
朝晩や、行くときも、帰ってきたときも、みんなが、「くわつか」くんにあいさつをして、また隠れてると喜び、死んでしまったら、泣いて悲しむ。
ただただ、クワガタという人生を全うしていただけなのに、こんなにも、私たちに影響力を与えてくれたんです。
これって、人間だって同じなんだな。
って思うんです。
人間は、色んな感情を表現することができるので、つい、何かと比べてしまったり、認めてほしくなったりしますが、
私の周りには、私の大切な人たちがいて、その人たちに求めるものはたった一つ。
「存在してくれていること。」
存在していてくれることが嬉しくて、存在してくれているから、色んな思いを共有し、育むことができます。
健康でいてくれたら嬉しいけれど、健康でなくなったとしても、思いは変わらないし、もし、過ちを犯したとしても、思いは、変わらないんです。
みんなが、誰かのそんな存在なんですよね。
我が家の家族。
クワガタの「くわつか」くんへの熱い熱い思いは、私に、「生きる」「存在する」大切なことを教えてくれました ^_^
くわつかくん。
ありがとう ^_^

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